翻訳と辞書
Words near each other
・ ボニファティウス2世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス3世
・ ボニファティウス3世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス4世
・ ボニファティウス4世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス5世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス6世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス7世
・ ボニファティウス7世 (対立教皇)
・ ボニファティウス8世
ボニファティウス8世 (ローマ教皇)
・ ボニファティウス9世
・ ボニファティウス9世 (ローマ教皇)
・ ボニファーチオ4世・ディ・トスカーナ
・ ボニファーチオ・ディ・カノッサ
・ ボニファーチョ海峡
・ ボニファーチ家
・ ボニファーツィオ・ヴェロネーゼ
・ ボニファーティ
・ ボニャンコ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ボニファティウス8世 (ローマ教皇) : ミニ英和和英辞書
ボニファティウス8世 (ローマ教皇)[ぼにふぁてぃうす8せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
教皇 : [きょうこう]
 (n) Pope

ボニファティウス8世 (ローマ教皇) : ウィキペディア日本語版
ボニファティウス8世 (ローマ教皇)[ぼにふぁてぃうす8せい]

ボニファティウス8世(Bonifatius VIII, 1235年頃 - 1303年10月11日)は、中世ローマ教皇(在位:1294年 - 1303年)。フランスフィリップ4世およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術文化の保護者としても知られる。
== 生涯 ==

=== 教皇登位まで ===
ローマ市の南東方向にあるアナーニラツィオ州フロジノーネ県)の名門(貴族階級)出身で、本名はベネデット・カエターニ(Benedetto Caetani)である〔マックスウェル・スチュアート(1999)pp.159-162〕〔鶴岡(2012)pp.54-64〕。歴代教皇の別荘があるスポレートウンブリア州ペルージャ県)などで教会法などを学び、パリやローマで聖堂参事会の会員となり、1276年ローマ教皇庁入りを果たした。枢機卿に昇進したのち、教皇特使としてイタリア半島各地やフランスなどを往復し、各界に多くの知遇を得た〔。
第192代ローマ教皇のケレスティヌス5世は有徳の人であったが、「教皇の器にあらず」と在位数ヶ月にして自ら退位を希望し、教会法に詳しい教皇官房のカエターニ枢機卿に相談した〔。ケレスティヌス5世は、夜な夜な聞こえる「ただちに教皇職を辞し、隠者の生活に戻れ」という声に悩まされた末にカエターニ枢機卿に相談したのであるが、実は、部下に教皇の寝室まで伝声管を引かせて毎夜ささやき、教皇を不眠症神経衰弱に追い込んだ張本人はカエターニ自身であったといわれている〔。カエターニ枢機卿は教会法に基づいた辞任の方法を教皇に助言し、ここに存命のまま教皇が退任するという異例の事態が発生した〔。ケレスティヌス退任後、ただちに再びコンクラーヴェ(教皇選挙会議)がひらかれ、グレゴリウス10世の定めた手続きにしたがって後継者が選ばれることとなって、その結果カエターニ枢機卿がボニファティウス8世としてローマ教皇に選出された〔。
前任のケレスティウス5世は、その就任時にナポリ王国カルロ2世に身をゆだね、カルロ王が望む人物を役職につけ、ローマではなくナポリに住むことにまで同意していた〔。しかし、ボニファティウス8世が就任した当時のローマは繁栄期を迎えていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボニファティウス8世 (ローマ教皇)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.